2013年04月03日
◎極限の緊張で金正恩は何を狙うか
本格戦争の構えにはない
北朝鮮最高指導者・金正恩が狂ったように全軍に戦闘態勢入りを繰り返す。米韓どころか日本まで核攻撃の恫喝だ。このままだと本当に朝鮮戦争に突入しかねない側面がある。韓国大統領・朴槿恵も「挑発があれば政治的考慮なしに反撃」を指示。まさに一触即発とはこのことのように見える。しかし、まず本格戦争はない。金正恩は米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」をフルに活用して全軍掌握の動きを展開しているに過ぎない。過去にゲリラ的な急襲は成功しているが、米韓両軍が待ち構えているところに、戦端を開く度胸はない。
とにかく気違いに刃物だ。異常な指導者にはこの形容しかない。戦略ロケット軍を「一号戦闘勤務態勢」なるものに突入させ、引き金を引けばミサイル発射の準備を完了。全軍に米国をミサイル攻撃できるよう待機せよと指示。30日には「南北関係は戦時状況に入った」とまるで開戦時の大本営発表だ。加えて6者協議で合意した停止原子炉の再稼働まで表明した。しかし米軍によると、軍隊が戦争準備に入るような動きは見せていない。ではなにか。人間の心理状況はそう複雑に考えない方がいい。まず第一に刈り上げ頭の坊ちゃんは“怖い”のだ。だから負け犬の遠吠えのように吠えまくるのだ。
というのも3月11日に始まった米韓軍事演習に米軍は核搭載可能のB2ステルス爆撃機や最新鋭のF22ステルス戦闘機、B52戦略爆撃機などを参加させ、核の恫喝には核で対応する姿勢をはっきりさせた。イージス艦と巨大な海上配備型Xバンドレーダー(SBX)も朝鮮半島方向に移動させた。まさに西部劇でワイヤット・アープ が相手の抜くのを待っている状況を作り上げたのだ。金正恩の脳裏にはフセイン、ビンラディン、カダフィの末路がよぎる。ひしひしと身の危険を感じざるを得ない状況が出来上がったのだ。
加えて朴槿恵はきつい。まるで極東のサッチャーのようである。戦争を辞さない姿勢を鮮明にさせて、だだっ子に甘い誤算を与えない。「挑発があれば他の政治的考慮を一切せず、直ちに強力に対応する」と宣言した。2010年の哨戒艦撃沈、延坪島砲撃事件を経験している韓国は、確実に攻撃には攻撃を持って対処する態勢を確立した。軍は「新たな攻撃があれば金日成、金正日の銅像や金正恩第1書記を攻撃の標的にする」と発表した。巡航ミサイルやステルス戦闘機でピンポイントに、“元凶”は倒せるのだ。さすがに韓国は勘所を押さえている。銅像はいずれ民主革命で倒れるが、先に攻撃で倒せば北の国民は崇拝の対象を失う。北にとってこれほど自らの国の置かれた立場が分かることはないのだ。
北の攻撃に対応した反撃を米韓が断行した場合、中国がどう出るかだが、これは黙視するしかあるまい。既に中国は2月には北への石油供給をストップさせたといわれており、度重なるミサイル・核実験に怒りは心頭に発している。本格戦争にならない限りは、表だった対応はしまい。中国も米韓軍事演習の規模には恐らく目を見張っているに違いない。間違いなく圧力を感じている。
金正恩が“怖い”のに加えて、何を考えているかと言えば、合同演習を活用して全軍の緊張を極限まで高めることにある。緊張をなぜ高めるかと言えば、これも簡単だ。掌握するためだ。最高指導者になって1年、国民は飢え、経済政策はなにも打ち出し得ていない。逆に国連の制裁による包囲網の輪はじわじわと効いてくる。不満はうっ積する一方だ。全軍を掌握しない限りやがて吾が身に危険が訪れる。まず求心力を確保する必要に迫られているのだ。したがって強いリーダーを誇示するために、吠えて吠えて吠えまくるのだ。そして米国を交渉のテーブルに引き寄せ、“核大国”同志の“対等の交渉”で平和条約にまでこぎ着けたいのだ。
一方、米国の関心が朝鮮半島情勢にこれほど高まったことは最近ない。国務省や国防省の記者会見では質問が集中、CNNやABCもトップ扱いで報じている。米国の軍事演習への肩入れは二つの側面がある。一つは北の“誤算”へのけん制である。間違っても韓国や日本に対してミサイルを発射するな。発射すればこうなるという図式を合同演習で北に示しているのだ。もう一つは同盟国韓国と日本との信頼関係確立だ。国防費の削減で生じている不安感の払拭でもある。またこれは極めて重要なポイントだが、韓国の独断的な軍事行動を押さえる側面があることも見逃せない。
とにかく気違いの刃物は、押さえ込まれつつあるのが実態だろう。しかし何をするか分からない国であることは確かだ。とりわけ過去に金正恩は、延坪島攻撃で指揮を執っている。4月15日は金日成の誕生日だ。煽りにあおった軍の士気を維持するためにはミサイル実験か核実験をするかもしれない。また津波警報馴れのように油断していると、異常なる“狼少年”は何をしでかすかわからないことだけは念頭に置いておく必要がある。
★俳談
◎俳句は打座即刻
こころまで隠す如くに春日傘
俳句は「その瞬間」を詠む詩である。したがって過去形は極めて少ない。見たのは以前であっても現在形である。この作詩形式を石田波郷は打座即刻の詩(うた)と形容した。
五七五が最短詩に昇華するには、常識と時の流れを切断しなければならない。切断して今現在という、目の前にある間一髪の現象を捉える。芭蕉の言に寄れば「間を入れぬ」判断である。
古池や蛙飛び込む水の音
にも
閑けさや岩にしみいる蝉の声
にも打座即刻の妙が詠まれている。