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好評 お義父さんの本日の政治解説 俳句つき
2013年04月01日
◎石原の極右改憲路線でイメージダウン
マスコミに維新叩きの兆候
改憲論のみんなの党代表・渡辺喜美が「このレトリックを聞いて思わず後ずさりした」と述べ、維新との合流を否定した。まさに共同代表・石原慎太郎“丸出し”の改憲綱領が党大会で採択されたのだ。「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正する」と石原路線を臆面もなく表明している。いくら何でも現行憲法の平和主義思想までも根本から否定する極右国粋主義的な改憲論には驚かざるを得ない。朝日は社説で初めて維新切り捨ての論調を展開した。維新はこの綱領により“敵”を作った。おそらくこの綱領では参院選挙は戦えまい。
筆者が総選挙直後に「維新のピークは終わった。今後支持率は下がり続ける」と予測したとおり、支持率は下降する一方だ。時事の定点調査でも1月4.6%、2月3.3%、3月2.0%と半減している。焦ったか共同代表・橋下徹は最近タレント弁護士時代の古巣の「行列の出来る法律相談事務所」(日本テレビ)に5年ぶりに出演するなど、テレビの活用に懸命だが、もう維新は賞味期限が切れつつあるのかもしれない。
なぜかと言えば、政界は1強3弱の構図が一層定着してきたからだ。何よりも自公政権の内政・外交が国民の圧倒的支持を得て、維新、みんな、民主は出る幕がない状態だ。橋下は「いまの自民党は既得権だ。既得権の打破と政治機構を換える体制を作る」と訴えたが、「既得権」 とはなにか。いかにも側近の学者や3流評論家が使いそうな文言だ。その受け売りだろうが、国政を担当すればすべて既得権かと言いたい。アベノミクス、普天間移設、TPPが既得権か。むしろ停滞政治の打破ではないか。一方で橋下は盟友の首相・安倍晋三について「どんどん輝いてきた」と持ち上げた。大会の演説で10数回にわたって安倍の名前に言及した。よほど心酔しているのだろうが、その逆に自民党に対しては「参議院選挙で自民・公明両党の過半数を阻止できるかどうかが、分水嶺(れい)だ」と切り捨てた。それでありながら「参院選で改憲勢力3分の2を目指す」だ。
まるで聞いている方が股割きを食らうような言葉の羅列だ。この大矛盾に至るのはすべてが橋下特有のテレビタレント性に起因する。民間テレビでは発言の整合性は求められない。整合性よりも無責任な瞬間的なインパクトをどう表現するかが重要なのだ。茶の間の興味さえ引けば何を言ってもよい。その習癖が橋下発言の軽さとなって常に現れる。原発再稼働反対が、すぐに賛成。日銀総裁人事も「反対」で注目を浴びたが、その後は議員団の賛成に妥協した。その場限りの言っただけでは、政治の世界ではリーダーとして通用しない。政治家はその発言が生命であることを知らないのだ。じりじりと支持率が減少傾向を辿るのも無理はない。橋下の簡易投稿サイト・ツイッターのフォロワー(閲覧者)が31日夜100万人を突破したが、支持率には全く反映していない。なぜかと言えば整合性がなく、テレビのコメンテーターの発言と同じで、政治家としては異例の“強烈”な言葉の羅列を“聞き流して”いるに過ぎないからだろう。
加えて石原の健康不安だ。もともと石原の存在は支持率にはそれほどの影響を与えていない。なぜなら総選挙での「東の大敗」がそれを物語っているからだ。党大会のテレビ対談や記者会見に現れた石原を詳細に観察すれば、まず6月の都議選や7月の参院選挙には応援には立てまい。対談ではぺらぺらと、とりとめもない長広舌を展開、橋下はまるでインタビュアーの様相であった。注目すべきは右手がけいれんの如く絶え間なく動いていたことだ。知人の医者によると、脳梗塞の後遺症である可能性が高いという。記者会見には護衛官に支えられて登場、歩行困難を思わせた。ぎりぎり一杯の“肩肘張り”をしてみせたが、これが限界だろう。石原が橋下に参院選出馬を促したのも、自分がまとめていく自信のなさが現れたとも受け取れる。
石原の存在感は日日薄れ、遅かれ早かれ橋下と旧太陽系の議員団との食い違いは増大傾向を辿るだろう。加えて冒頭に紹介したドラスティックな改憲路線は有権者の間で不安感を増大させる。右寄りは安倍までで十分であり、最終的には原爆保有、徴兵制まで行く石原の極右国粋主義路線への改憲を国民は求めていない。朝日は社説で「平和主義を含む憲法の全面否定であり、とうてい容認できない。」と切り捨てた。
これは護憲路線をひた走る朝日が維新と対峙したことを意味する。朝日は今後「参院における3分の2阻止」の論調を展開するだろう。当然民放のニュース報道も影響を受ける。こうして維新は、橋下がいくらジタバタしても、支持率がマイナスに動き続け、盛り返すことは困難だろう。参院は2人区でみんなとの共闘が実現して、民主党を食う流れだが、1人区で自民党に食い込むには、民主・維新・みんなの共闘が不可欠だ。しかし今どき民主と組む政党はいまい。従って自公の過半数阻止は難しいだろう。むしろ維新は選挙後は改憲への補完勢力としての役割を果たすにとどまるだろう。
★俳談
◎多作が切り開く
春昼の折り鶴崩れ始めたる
思案投げ首ばかりしていても始まらない。俳句は沢山作ることだ。作って作って作り抜いて、その中から一句でも秀句が出来ればそれでよい。そのうちにこつを覚える。こつとは対象を見たらすぐ17文字にできる能力だ。
芭蕉も「物の見えたる光、いまだに心に消えざる中に言ひ留むべし」と言っている。打座即刻の作句だ。明治・大正期の俳人は一題で20句から30句。一夜で50~60句作ることは珍しいことではなかった。
多作を試みると対象から感じ取ったものを「言い留め」ざるを得なくなる。何を見ても俳句が生まれてくるようになるのである。
マスコミに維新叩きの兆候
改憲論のみんなの党代表・渡辺喜美が「このレトリックを聞いて思わず後ずさりした」と述べ、維新との合流を否定した。まさに共同代表・石原慎太郎“丸出し”の改憲綱領が党大会で採択されたのだ。「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正する」と石原路線を臆面もなく表明している。いくら何でも現行憲法の平和主義思想までも根本から否定する極右国粋主義的な改憲論には驚かざるを得ない。朝日は社説で初めて維新切り捨ての論調を展開した。維新はこの綱領により“敵”を作った。おそらくこの綱領では参院選挙は戦えまい。
筆者が総選挙直後に「維新のピークは終わった。今後支持率は下がり続ける」と予測したとおり、支持率は下降する一方だ。時事の定点調査でも1月4.6%、2月3.3%、3月2.0%と半減している。焦ったか共同代表・橋下徹は最近タレント弁護士時代の古巣の「行列の出来る法律相談事務所」(日本テレビ)に5年ぶりに出演するなど、テレビの活用に懸命だが、もう維新は賞味期限が切れつつあるのかもしれない。
なぜかと言えば、政界は1強3弱の構図が一層定着してきたからだ。何よりも自公政権の内政・外交が国民の圧倒的支持を得て、維新、みんな、民主は出る幕がない状態だ。橋下は「いまの自民党は既得権だ。既得権の打破と政治機構を換える体制を作る」と訴えたが、「既得権」 とはなにか。いかにも側近の学者や3流評論家が使いそうな文言だ。その受け売りだろうが、国政を担当すればすべて既得権かと言いたい。アベノミクス、普天間移設、TPPが既得権か。むしろ停滞政治の打破ではないか。一方で橋下は盟友の首相・安倍晋三について「どんどん輝いてきた」と持ち上げた。大会の演説で10数回にわたって安倍の名前に言及した。よほど心酔しているのだろうが、その逆に自民党に対しては「参議院選挙で自民・公明両党の過半数を阻止できるかどうかが、分水嶺(れい)だ」と切り捨てた。それでありながら「参院選で改憲勢力3分の2を目指す」だ。
まるで聞いている方が股割きを食らうような言葉の羅列だ。この大矛盾に至るのはすべてが橋下特有のテレビタレント性に起因する。民間テレビでは発言の整合性は求められない。整合性よりも無責任な瞬間的なインパクトをどう表現するかが重要なのだ。茶の間の興味さえ引けば何を言ってもよい。その習癖が橋下発言の軽さとなって常に現れる。原発再稼働反対が、すぐに賛成。日銀総裁人事も「反対」で注目を浴びたが、その後は議員団の賛成に妥協した。その場限りの言っただけでは、政治の世界ではリーダーとして通用しない。政治家はその発言が生命であることを知らないのだ。じりじりと支持率が減少傾向を辿るのも無理はない。橋下の簡易投稿サイト・ツイッターのフォロワー(閲覧者)が31日夜100万人を突破したが、支持率には全く反映していない。なぜかと言えば整合性がなく、テレビのコメンテーターの発言と同じで、政治家としては異例の“強烈”な言葉の羅列を“聞き流して”いるに過ぎないからだろう。
加えて石原の健康不安だ。もともと石原の存在は支持率にはそれほどの影響を与えていない。なぜなら総選挙での「東の大敗」がそれを物語っているからだ。党大会のテレビ対談や記者会見に現れた石原を詳細に観察すれば、まず6月の都議選や7月の参院選挙には応援には立てまい。対談ではぺらぺらと、とりとめもない長広舌を展開、橋下はまるでインタビュアーの様相であった。注目すべきは右手がけいれんの如く絶え間なく動いていたことだ。知人の医者によると、脳梗塞の後遺症である可能性が高いという。記者会見には護衛官に支えられて登場、歩行困難を思わせた。ぎりぎり一杯の“肩肘張り”をしてみせたが、これが限界だろう。石原が橋下に参院選出馬を促したのも、自分がまとめていく自信のなさが現れたとも受け取れる。
石原の存在感は日日薄れ、遅かれ早かれ橋下と旧太陽系の議員団との食い違いは増大傾向を辿るだろう。加えて冒頭に紹介したドラスティックな改憲路線は有権者の間で不安感を増大させる。右寄りは安倍までで十分であり、最終的には原爆保有、徴兵制まで行く石原の極右国粋主義路線への改憲を国民は求めていない。朝日は社説で「平和主義を含む憲法の全面否定であり、とうてい容認できない。」と切り捨てた。
これは護憲路線をひた走る朝日が維新と対峙したことを意味する。朝日は今後「参院における3分の2阻止」の論調を展開するだろう。当然民放のニュース報道も影響を受ける。こうして維新は、橋下がいくらジタバタしても、支持率がマイナスに動き続け、盛り返すことは困難だろう。参院は2人区でみんなとの共闘が実現して、民主党を食う流れだが、1人区で自民党に食い込むには、民主・維新・みんなの共闘が不可欠だ。しかし今どき民主と組む政党はいまい。従って自公の過半数阻止は難しいだろう。むしろ維新は選挙後は改憲への補完勢力としての役割を果たすにとどまるだろう。
★俳談
◎多作が切り開く
春昼の折り鶴崩れ始めたる
思案投げ首ばかりしていても始まらない。俳句は沢山作ることだ。作って作って作り抜いて、その中から一句でも秀句が出来ればそれでよい。そのうちにこつを覚える。こつとは対象を見たらすぐ17文字にできる能力だ。
芭蕉も「物の見えたる光、いまだに心に消えざる中に言ひ留むべし」と言っている。打座即刻の作句だ。明治・大正期の俳人は一題で20句から30句。一夜で50~60句作ることは珍しいことではなかった。
多作を試みると対象から感じ取ったものを「言い留め」ざるを得なくなる。何を見ても俳句が生まれてくるようになるのである。